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ご卒業おめでとうございます

 御卒業おめでとうございます

               ○○ 渡辺一廣


 早いもので「東光」の原稿を書くのも私にとってこれが最後となりました。思いつくままに記してみたいと思います。

 君たち卒業生は、創立六十周年の記念の年に卒業することになりました。記念すべき年の卒業生です。本校の歴史の節目に卒業することになります。定時制生徒にとって「卒業する」ことが、いかに大変であるかと言うことは今も昔も変わることのない事実でしょう。○○地区の定時制の卒業生の手記の題に「夢にまで見た『卒業』の二文字と我が人生」というのがあります。これを見れば、卒業をいかに心待ちにしていたかがわかります。さらに、その卒業生は『苦しさに耐えし学びの喜びを我が人生の糧とせん』の句を人生の生涯の友として仕事に毎日励んでいると記しています。体験からにじみ出たなんとすばらしい人生訓でしょう。

 今年、米寿を迎えた母が小・中学校の頃、「苦労は買ってでもしなさい」とよく言っていました。「お金を出して苦労を買う者などおるもんか。苦労などせずにのんびりするにこしたことはない」と思っていましたが、昔からのこの言い伝えが真実であることがこの年になり分かりました。もう少し、苦労を買ってでもしておけば良かったと後悔しています。


「定時制は働きながら学ぶ学校です」といわれています。教育の機会均等の理念の下に昭和二十三年に法制化されたのです。昔と今とは、学ぶ生徒の実態が違っていますが、「昼働き夜学ぶ」ことは同じです。私が感心するのは、生徒が自分で稼いだ給料で授業料を払うということです。定時制の生徒にとってはごく当たり前かと思いますが、実は決してそうではないのです。全日制の生徒では皆無ではないでしょうか。職員室にいますと、午後四時前後から生徒が職員室に入ってきます。「先生、授業料をもってきました。今日が給料日でしたから」と、定時制では何げない普段の風景の一コマです。生徒が意識しているかどうかは分かりませんが、このこと自体が生涯学習の視点そのものなのです。学費を自分で納めるということは、自己投資をし自己の能力を向上させているすばらしい行為なのです。苦労をお金で買っているといっても過言ではないでしょう。この習慣は生涯続けて欲しいと思います。卒業後は、また新たな課題を見つけて時間をかけ学習することです。若い時に染みついた習慣は定時制卒業生の一つの宝でしょう。



 

 ある卒業生から、周年事業のことで電話がありました。一通り用件を済ました後で、「私は今年で裁判所を定年退職します。今後八年かけて放送大学を卒業しようと思います」「あぁ、そうですか。頑張ってください。」受話器を置いた後、この馬力はどこから湧いて来るのだろうか。うらやましく思ったことを想い出します。

 職員室の入室を開放しています。生徒が気軽に入ってきて私達と会話をします。「○○君、こんにちは。(少し話をした後で、)ところで、○○君が卒業式の日に朝、鏡を見たときにどんな顔をしているかねぇ。どんな気持ちだろうか?」生徒はあっけにとられた顔をしてしばらく考えます。「そうね、突然の質問だから、わからないで当然よね。また、わかった時に、教えてねぇ。・・・」楽しい一時です。このような会話の中で、生徒の成長が見て取れるのです。入学当初の一年生はまだまだあどけなく不安顔が見られます。一学期、二学期、三学期、一年、二年と時間が経過する毎に、その不安げな顔が消え、安心している顔へ変わっていくのです。特に仕事に就いてからの生徒の成長が著しいのです。生徒は学校で学ぶことより仕事について学んでいることの方がずっと多い感じがします。仕事に就くことにより、時間を守ること、接客の態度、仕事の責任など、お金を稼ぐことの厳しさを体得し飛躍的に成長するのです。



 ○○地区の四校の定時制で勤務をしました。四校で、創立六十周年行事に携わりました。その事業の遂行過程で昔、定時制高校を卒業した卒業生と数多く出会うことができました。どことなく魅力(引きつける雰囲気)を漂わせている卒業生ばかりです。どうしてだろうかと自問すると、高校時代にきっと苦労をしたからでしょうと自答している自分に気づきます。どの卒業生も個性的で魅力があり、例えると、浜辺で風雪に耐えぬきいろんな枝ぶりをした大きな松のような印象を受けました。私が大学生の頃、材料力学の退官間近な老教授が「教育の成果は二十年後、三十年後にしかでない」と講義の中で言われたことが私の脳裏に染みついています。君たちの数十年後の姿を是非見たいと思っています。君たちの人生八十年間の中で、私達はわずか四年間の中でかかわりを持つのです。青春期のこの四年間がその後の人生の基盤をつくったと卒業生達はこぞって言っています。人生は山あり谷ありです。楽しい時があれば、苦しい時もあります。苦しい時を乗りこえるのは知識の量ではありません。定時制で培った忍耐力が人生の苦境で力を発揮するでしょう。

 定時制生徒は、何事にも代えがたい「優しさ」を身につけています。教科の学習の中では、「優しさ」を身につけることはできないでしょう。定時制のユニークな環境(昼働夜学、様々な個性の認め合い、友人への思いやりなど)で生活することで身に付いたのではないでしょうか。本をたくさん読んだからとか点数がいいからとかのものとは比較にならないものです。「優しさ」は愛情の一つの表現です。定時制という学習環境が君たちに与えてたものでしょう。優しさを発揮してみましょう。




 定時制に勤務したお陰で、映画の副音声の英語がそのまま聞けるようになりました。五、六年かかりました。もちろん、知らない単語が飛び交いますが、その雰囲気や言っていることが大体わかるようになりました。例えれば、国際運転免許状を手にしたようなものです。世界中どこでも運転できるのです。世界が広がりました。視野が広がりました。考えが広がりました。日常生活がうきうきわくわく楽しくなりました。これも定時制で学ぶ生徒の皆さんの姿から間接的に教えていただいたことなのです。疲れた顔をして登校、下校する姿から学んだのです。小倉のNOVAで土・日曜日にレッスンを受け車で帰宅途中に睡魔に襲われます。香春のスーパーに駐車し仮眠をして自宅へ帰るのです。定時で学ぶ生徒もきっときついのだろうなぁと思っています。みなさん、有り難うございました。

 NOVAのインストラクターは、アメリカ、カナダ、イギリス、スコットランド、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランドの各地から来ています。NOVAでは英語だけでなくたくさんのことを学びました。まず、自分の意見を持つことでした。レッスンの中で、「What do you think?」とたびたび問われるのです。笑ってごまかすわけにはいけません。学生の頃こんな質問がされたかなと思うとそんなことはあまりありません。日本の教育の中ではこの種の質問は少ないです。そのためになれていないので、答えがでてこないのです。しかし、慣れると上手くいくようになってきます。何で、この質問が良くされるのかと考えると、民主主義の国だからです。戦後米国から民主主義が導入されました。民主主義では物事の決定は意見と意見の調整がその基盤でしょう。人それぞれ意見が違うのです。当然ですね。同じ考えをもたせるのは、民主主義の考えに反します。まずは、自分の意見を持つことが求められています。

 次にディベイトです。ある時、原発についてその是非を賛成派と肯定派に別れてディベイトしなさいと言われました。ディベイトなど全く経験がありませんでしたので、さて、困りましたが、何とか無事にそのレッスンは終わりました。意見の違いを論ずるときには、静に理詰めで決して感情に走らずに話す態度が求められます。怒号や威嚇で議論することは慎まなければなりません。マナー違反です。今後はディベイトの訓練が求められるでしょう。



 個性の重視が日本の教育の中でも重視され始めて、ずいぶんなります。口では、個性を尊重しなさいというけれど、さて、それをどのような言動で態度で表せばよいのでしょう。そのことは教えていません。私自身どうしていいものかわかりませんが、NOVAでのインストラクターの態度、表情、言動を見ていると、お互いの意見、個性を認め合う態度はこういうことかと理解できます。

 これからの日本で民主主義の制度が続く限り、私の意見ではという自分の意見を持つこと。うまく自分を表現すること。ディベイトで自己の意見を冷静に理詰めで主張すること。異なる意見を尊重する程度を身につけること。自分の言動に責任を持つこと。等が求められると思います。

 戦後、米国教育使節団が訪日し、その報告書を出しています。その中に、権利と義務は表裏一体で、権利を主張するには、義務を果たせねばならないと明確に書いています。それぞれの権利の主張は競合し、時間がかかるものだ。その権利間の調整は日本人自身に任せなさいとあります。戦後六十三年が過ぎ、権利の競合・調整は十分になされたのでしょうか。また、自由はわがまま勝手に振る舞うことではありません。放任することを自由というのでもありません。自由の裏には責任があります。個人が責任をとれる範囲で自由に行動ができるのです。責任のとれる範囲でしか自由な行動は許されません。このような意味では、自由とは不自由なものなのです。たとえば、相撲の土俵を思い描いてください。土俵の中が責任のとれる範囲と考えれば、わかりやすいのではないでしょうか。土俵の中は自由に動けるのですが、外へは行けません。

 全日制と定時制を比較されるころがあります。定時制が誤解されているところがあり真に残念に思います。それは、全日制の見方で定時制を見るから、定時制本来の姿を見逃しているのだと思います。定時制で長年勤務した経験から考え、この見方は一面的で、定時制の本質を理解できていない人の見方だと確信しています。一般にそれぞれの集合には、物事の本質を構成するessent(エッセンスと同義語)があります。二つの集合間のエッセンスは共通のものもあるし、違うものもあります。集団のエッセンスは何かを見極める視点が必要でしょう。

 そこで、○○地区定時制○○協会が平成十九年度に○○地区の定時制生徒に実施したアンケート「定時制で学んで良かったと思われることについて書いて下さい。」の結果です。

 定時制のエッセンスがちりばめられています。皆さんは、どれに共感しますか。共感できるものがたくさんあると思います。いかがですか。



・楽しい ・ありがたい学校 ・多くの人に出会えた ・校則が緩やかで良かった

・時間を有効に使える  ・自分に合っている

・仕事と勉強が両立できる ・先生と相談出来る(一人一人を認めてくれる)

・ミシンやパソコンが学べる ・人の温かさを知った ・少人数が良い

・何とかついていけるし、いじめなどもないから結構続きやすい。

・人とコミュニケーションが取りやすくみんな明るい

・仕事をして学校に行って、一日が充実している ・規則正しい生活が送れた

・勉強以外のことが学べる ・全日制では出会えなかった人たちとの出会い

・今の友達と先生と出会えたこと ・今まで生きてきた中で一番成長した

・マナーの大切さを学んだ    ・全日より早く社会人になれる

・仕事のきつさを知った ・全日では絶対学べないことを多く学んだ

・授業が楽しい   ・忍耐力が身についた  ・自分は生まれ変わった  

・定時制の先生は勉強で分からないことがあれば、嫌な顔一つせず教えてくれる

・学校生活が楽しいと思えるようになった ・自分を見つめられた

・マイペースで学べた ・友達の大切さを知った ・優しくて学校が好き


 定時制で学んだ者でしか書けない多くの貴重な言葉が寄せられました。たとえば「仕事に行って学校に行き、一日が充実している」「今まで生きてきた中で、一番成長した」「全日制では絶対学べない多くのことを社会や学校から学んだ」「人の温かさを知った」等の言葉から、定時制高校の必要性や定時制高校で学ぶ意義が見出されれています。

○○先生と一緒に創立六十周年記念式典の祝辞(案)を作る時に、【この生徒会誌の「東光(とうこう)」の意味は「東の光」つまり「暁(あかつき)」を意味しています。日々の努力の先には、まばゆい「東の光」、「希望」があることを意味し、更なる発展に向けて日々努力しよう】という趣旨を発見しました。そして、「東光」は当時の生徒から名前を募集して決めたのだそうです。この「東光の精神」を伝統として継承していただきたいと思っています。


今後の社会をつくる卒業生の皆さん。定時制で学んだことが将来きっと役に立つ時がくると思います。自分の人生です。プラス思考で、肯定的な表現で、今後の人生を過ごして欲しいと思います。



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